繭山龍泉堂創業者である繭山松太郎(1882-1935)は、
明治38年(1905)4月、 単身北京に渡り、古美術の商売を始めた。
22歳のときである。
当時の北京は、欧米での東洋美術の流行にともない、
美術市場の中心地として栄えていた。
鉄道工事の際に発掘される古代の文物や、
清末の動乱期に流出した宮中の伝世品などの宝物が次々と市場に運ばれ、
多くのコレクターやディーラーたちが往来し賑わっていた。
繭山松太郎は、このような国際的な市場で、古美術売買の仕事を学んだのである。
その頃の日本市場は、煎茶、抹茶の茶道具が中心で、これらを扱う商人は、
道具商とか骨董商と呼ばれていた時代である。松太郎は、
世界の先端をいく北京市場で学んだ商売を日本に持ち込んだ。
それは、茶道具に拘泥しない鑑賞美術品を取り扱う仕事であり、
日本における美術商の草分けとして活躍した。
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大正5年(1916)、日本に戻り、東京銀座に開店。
4年後の大正9年(1920)に現在地である京橋に移転し、
新店舗を開設している。
大正12年(1923)には、フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテル開業とともに、
ホテル内に店舗を設け、これはジュエリー専門店として現在に至っている。
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大正9年、京橋区鈴木町に竣工した社屋
(現東京都中央区京橋・現所在地)
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龍泉堂という屋号は、松太郎が北京時代にこだわって取り扱ったやきものである、
「龍泉窯青磁」に因んで名づけられている。
青磁は、鑑定の最も難しいとされるものであり、この青磁の目利きになることで、
松太郎は美術商としての信頼を築いたといえる。
昭和に入り、国内で鑑賞陶器が流行し、龍泉堂の基盤は揺るぎないものとなった。
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繭山松太郎と砧青磁袴腰香炉
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昭和10年(1935)、松太郎が死去。これに際し、
長男である順吉(1913-1999)が跡を継ぐこととなる。
順吉は、父松太郎の仕事を受け継ぎ、
中国陶磁を中心とした東洋古美術品を取り扱っていくが、
特に戦後アメリカとのビジネスが始まってからは、
日本美術の名品を数多くアメリカに紹介した。
メトロポリタン、シアトル、
クリーブランドなどの美術館やロックフェラー3世をはじめとする
名コレクターたちに多くの名品を納めることで、
MAYUYAMAの名は世界に知られることとなった。
70周年を記念して、昭和51年(1976)に出版された『龍泉集芳』は、
それまで扱った名品を集録した豪華本であるが、
これは現在でも蒐集家たちのバイブルとして広く愛用されている。
100年という歴史によって築き上げられた信用と眼は、
現在でも変わりなく社員全員に受け継がれ、
東洋古美術の老舗として揺るぎない地位のもと、
多くの愛好家の方々から厚い信頼を頂いている。