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灰釉有蓋鼎

前漢(前2世紀〜前1世紀)
高 17.7 cm 幅 21.0 cm

来歴

伝楽浪(現平壌付近)出土.
浅川伯教(1884〜1964年)箱書.




Western Han dynasty (2nd century BC–1st century BC)
H. 17.7 cm W. 21.0 cm

PROVENANCE

Reported to have been excavated at Lelang (in the vicinity of current Pyongyang).
Box inscription by Asakawa Noritaka (1884–1964).






前漢時代に、青銅器の(てい)を模して作られた灰釉陶器です。銅器のように精緻な作ではありませんが、重厚で溢れ出るような力強さがあります。把手もやはり力強い造形で、鋲のような装飾があり、大胆な作風の中でも細部へのこだわりが感じられます。灰を用いた釉薬は容器として器物を強化するだけでなく、艶のあるガラス質に変化することで一見地味な陶器に美しさが加わりました。後にこの灰釉は青磁へと発展し、人工の玉と讃えられるまでになっていきます。

漢は朝鮮半島の北部を紀元前108年に支配し、出先機関の漢四郡を設置しました。その内最も長く継続した「楽浪郡」は、4世紀初めまで現在の平壌付近に存在していました。楽浪郡は対朝鮮の前線基地という地理的要因から、漢王朝が特に心血を注いだようで、楽浪には大変優れた文物が流入しています。特に有名な遺物としては、九州国立博物館蔵の「元始四年銘彩漆盤(西暦4年)」があります。中国工芸史上でも最も優れたもののひとつでもあるこの彩漆盤が楽浪の地から発見されたことは、如何に漢人が同地に重きを置いたか、という証左と云えます。

本作に箱書した浅川伯教(1884〜1964年)は、弟の巧(1891~1931年)と共に朝鮮陶磁の美を見出した最初の研究者として著名です。朝鮮陶磁を隈なく研究する中で、同地で発見された中国陶磁にも通じていったのでしょう。浅川伯教による箱書を伴う中国陶磁は稀に見られます。これらに共通することは、楽浪古墓、もしくはのちの高麗古墳からの出土品であると推察される品々であることで、共に中国王朝の影響が強い時代のものです。この鼎が氏によって「楽浪出土」とされていることは信ずべき来歴と考えられ、その点も非常に興味深い一品と云えます。